日記 2023-04-08
久しく日記を書かずにいて、まわりの環境はそれなりに変わって。
私に変化はあっただろうか。
正直それ程あるように思わない。
自分を見つめ直そうとして、ある程度他人に頼ろうと思って、それでも。
面倒くさい、なら後回し。
後でどうにかなるだろうと思って。
後回しにしたら間に合わなかった。
もっと後回しにすればいいか。
多分どうにかなるから。
あ、また間に合わなかった。
どうにかならないかもしれない。
怖い。
失望させてしまうのが怖い。
私のことで悩ませてしまうのがつらい。
いっそ悩んでいることを吐き出してみる。
相手を困らせてしまった。
ごめんなさい。
悩みは外に出しにくい。
でも抱え込まずに他人に頼れとも言われた。
どうしよう。
私が悪いのに。
私がダメなばっかりに。
理想の私なら、もっと上手くやれたはず。
自分の能力に自信があるから「上手くやれたはず」なんて言えるんじゃないのか。
自信がないのではなかったのか。
能力を自分にも他人にも認めてもらえていない。
だから自信がない。
成功体験が欲しい。
じゃあ成功体験を作っていきなさい。
作りたい。
でも面倒なことは後回し。
面倒ではないことの成功体験は達成感に欠ける。
面倒でないということはそれをするのに十分な能力があることの証明じゃないのか。
難しい、面倒だと思ったものを成したときこそ達成感があるはずだ。
でもそれは後回しにするのだろう?
じゃあ一体いつになれば自信がついて、他人からの評価に怯えず、一歩一歩進めるようになるというのかね?
わからない。
ああ、考えるのが面倒だ。
日記 2022-11-05
せめて毎週更新はどうか、と言っておきながら結局3週間程が経ってしまった。
習慣というものの力を改めて思い知った気がする。
空いていた時間に何か成し遂げたか?
特にない。
確かに、焦燥感に苛まれることを抑えようと、すべきことを減らそうとしたし、
日記だってその意味で制限を緩和しようとした。
だからといって、何もしすぎないのも問題であろう。
ただ、収穫がなかったわけでもない。
人間はどうやら暇を持て余せば何かをしたくなってくるものらしく、
少しながら気力というものが湧くような気もする。
しかし気力が湧いたところで、具体的に何をするのかなどを明確にできなければ、
準備もできず行動は曖昧なままに終わってしまう。
改めて、自分が何をすべきかを考え直した方が良いだろうか。
日記 2022-10-14
隔日、とは言ったがここまで空いては隔週ではないか?
継続出来なければ習慣など消えてしまう。
せめて毎週更新程度にはするべきかもしれない。
自分が今すべきことが何であるのか、といったことは結局考え続けてしまう。
焦燥感は消えてくれない。
自分が何者でありたいのかも分からないままに。
日記 2022-10-02
直近ですべきことを失ったことによる生活習慣の崩壊とともに日記を書くことすらしていなかった。
しばらくは隔日となってしまうかもしれない。
日記 2022-09-26
居場所をずっと保っておくためには、それ相応の努力か信頼を持たれなければいけないのだろうが、後者が自分にあるのだと勝手に思い込んでしまって居場所がなくなってしまうようなことは、あって欲しくない。
ならば私はそのための努力をすべきであろう。
失いたくないのなら。
日記 2022-09-25
思いがけず降ってくる機会を逃したくなくて、かといってそれのために他の機会を逃してしまえば、失うものの方が多いのかもしれず。
その塩梅を決めるのは自分自身であり、考えなしにそれをして、今まで後悔を繰り返してきてしまった。
今度こそは、と意気込むだけ意気込んで、結局失敗し続けてしまう。
失敗を活かす努力を、しなければいけない。
日記 2022-09-24
失敗して、そこから逃げた先ですら失敗を重ねてしまえば、どんどんと居場所をなくしてしまう。
かといって新たに居場所を増やし続けるのにも限界がある。
なるべくなら問題を解決して、居場所を広くとっておきたい。