日記 2020-02-13
特定の人物についた印象、レッテルは、容易に変えることができない。
一旦できたイメージは、その人物に紐付けられ、その人物をそのイメージで捉えることを促し、またそのイメージを強化していく。
そうして強く紐付いたイメージは、その人物自身にさえ影響を与える。
私はあまり人と積極的に話をするような人間ではなかった。そのため周りから話しかけられることも少なく、さらに話をする機会が少なくなった。しかし完全に避けられている訳でもなさそうなのである。不思議だ。
結果として、私は平素からあまり喋らなくなってしまった。
知人が、他人にいじられるのどうしてなのだろうかと嘆いていたが、それも平素の言動によって他者から持たれたイメージによるものなのだろう。
他人からのイメージはその対象に影響を与えうる。では、自分による、自分自身に対するイメージはどうだろうか。自己分析をして、自分はこのような人間なのだと判断をする。例えば私の場合、怠惰で傲慢だ、という自己評価だが、そう思うことによって自身の行動もそのようになっていってしまわないだろうか。その思考が、言葉に、行動に、習慣に、運命に、なってしまわないだろうか。そう考え始めると、なんとも言えない恐ろしさを覚える。
私は自分をどのように捉えるべきなのだろうか?