日記 2020-07-06
私は、誰かから幸福を奪っている。
私が惰性で過ごす毎日は、誰かがより幸福になれたはずの何かを、浪費する。
それは
私は対価を支払って日々を過ごすはずだが、私にその能力がないからと、親から支援される。
価値とは、それによって得られる豊かさを反映する。これの最も基本的で、揺らぐことのないものは、生きること、であろう。
元来人類は、自給自足であった。
生きるために必要なものは自ら用意する。
それがそのうち物々交換へと発展し、ここで価値が生まれてきた。
生きるのに困らなくなったほど豊かである人間は、それ以外のものに価値を見出し始めた。
それは個人をより満足させるものである。
私は豊かに生きるために学ぶ、ということを選択した。それに対する対価は支払われている。
しかし私がそれを浪費したとなれば、どうなる。
価値を食いつぶすことになる。
食いつぶした価値で、いったいどれほど幸福になれた人間がいただろうか。
その分私が幸福になっているかと言われれば、そうでもない。無論ある程度は享受しているだろうが、無駄が大きい。
無駄になった価値は、どこか虚空へと消えていく。
そういう意味でも、私は幸福を奪い、加えてそれを捨てている。
将来的にも、社会に出た際に私が享受した分の価値を生み出せなければ、それも無駄である。
本当に私は、