yaito3014の日記

どうでもいいことを書きます

日記 2021-08-11

結局いつまでも、嫌なことから逃げ出す理由を探しているだけ。
何かを嫌だと思うところまでは恐らく誰でもするが、そこで逃げ出そうとして、理由が見つかれば飛びついて、逃げ出さないための枷を放り出して、無駄にして。
口だけは、自分はこれが駄目なのだなどと言って改善策を探して、悩んでいる。悩んでいるフリかもしれないが。
感情から思考が始まり感情により行動が決まり、その行動の結果が感情になって。
感情に振り回されて、一向に改善しない。むしろ悪化しているか?
自分が嫌なのだと散々言って、しかし改善は見られずに、自己嫌悪だのなんだのとクソほどの役にも立たない文章として書き散らして、何がしたい?何を得たい?
共感か?心配か?侮蔑か?救済か?
自分の醜態を晒すことに、何の価値がある?
こんな奴にはなるなと言って、よしならないようにしようと思って実際にならずに生きることができる保証などどこにもない。
自己満足か?確かにそうかもしれない。
自分で文章を書いて自分で読むことで自分自身に共感して自分を慰めている。
なんと奇妙な自慰行為だろう。
はてここで文章を見返せば、お前は上手いことでも言ったつもりか?
自分の惨状を言葉巧みに語るような人間を演じようとしているだけではないか。
人から認められたいという傲慢さが、文章を書いて他人が読める形として残している。
自分勝手に生きようとして目の前に壁が現れたとき、それに向き合い、方法を模索して、打ち倒すことができたのなら、それは正しいことなのだと、自他共に認めるのであろう。
たとえ打ち倒せなくとも、少なくとも向き合って、立ち向かったなら、信念があったのだと認められるのであろう。
ではそのように他人に認められたいと空想して、しかし向き合うよりも逃げ出すことを選択した人間はどうだろう。
信念も正しさもない。
そこにあるのは、ただただ醜く、邪魔な肉塊だ。
しかもその肉塊にある精神とやらは消えることを嫌って、なんとかするからと言って、生かされようと駄々をこねる。
そうして身の回りの物をひたすらに喰らって、喰い散らかして。
そして、単に放り出されて見捨てられていくならまだしも、厄介にも人間のフリをして、人間になろうとして、潜伏するらしい。
しかし思うような人間にはなれない。

肉塊だなんだのと言っているが、それも人間だろう。価値観や理性の構築において大衆から外れた、ただの人間。それを誤魔化す方法に手を伸ばして自分という存在を誤魔化すということには不安を覚えて、手は動かなくて。
変わりたいなどと言って、しかし結局変わることを恐れている。
認められるように変わりたいと、変わりたくないと感じながら言う。
これも人間の、多様な精神の一部なのか。
せめてそうであると、誰かに認めて欲しい。

そうか、私が結局欲しいのは、自分という存在か。